連載インタビュー 未来を射る光 01
空間分解能の電子線、
透過力のX線。
綾なす利点とデメリット。
“もの”が何で出来ているのかを子細に深く考える時、その内部構造や構成要素、それらの微視的な振る舞いの観察が出発点となる。小さな世界を探究したいという興味と好奇心、あるいは必要性は、科学技術を発展させる原動力となってきた。
ここで “目には見えないものを見る”工夫と技術について少し概観したい。(光学)顕微鏡が発明されたのは1590年、オランダの眼鏡職人であったヤンセン親子が筒の中で複数のレンズを組み合わせることで、物が大きく見えることを発見した。1600年代の半ば以降は、盛んに改良が重ねられ、医学・生物学の分野で顕著な業績を上げてきた。しかし、光学顕微鏡は光の波長よりも小さい/短いものは見ることができない(分解能の限界)。それを乗り越えるために1930年代以降、電子顕微鏡や走査プローブ顕微鏡が開発された。電子顕微鏡は、ギリシャ語の”これ以上、分割できない(atomos)”を語源にする「原子」の姿を私たちに見せてくれる。
もうひとつ、ものの内部を見る方法がレントゲン写真や空港の手荷物検査装置でお馴染みのエックス線(以下X線)だ。数学の“未知数”を表す「X」を名に戴く電磁波(放射線の一種)が果たしてきた医学的な功績は言うに及ばないだろう。また、原子核物理の端緒となったことでも知られる。X線最大の特徴は、非常に透過力が高く、厚みのある対象を見ることができるという点にある。そうした利点は、材料などにX線を入射することで、内部のきずや欠陥などを検出する非破壊検査に活用されている。だが、現在のところ電子顕微鏡並みの空間分解能を有するには至っていない(最高でも10㎚程度。nはナノ、10の-9乗)。一方、前述の電子顕微鏡は、分解能が高いものの(約0.1㎚)、厚さには弱い(200㎚が限界)。観察するには試料を薄くスライスする必要があり、「ありのまま」を担保することが難しくなる。X線、電子顕微鏡ともども“あちらを立てれば、こちらが立たず”といったトレードオフにある。
だが、原理的にはX線も電子顕微鏡と同等のスケールまで空間分解能を高めることが可能だ。厚みにも対応できる。問題は、X線の扱いにくさにある。短い波長(高いエネルギー)を持ち、透過力という“ものを見る”ために適した特性を有するX線は、同時に直進性にも優れ、ゆえに進行方向を変えるのが難しい。電子顕微鏡のように像を結ばせることが容易ではないのだ。
鍵はコヒーレントX線。
世界新の記録は
いまだ破られず。
誰も成し遂げた者のいない先進的X線顕微技術に立ち向かうのが、髙橋幸生教授だ。目標は明快である、「X線で原子を見る」。高速で動いているものを非常に高い分解能で計測・観測したい、とも。X線でナノの世界を見るために、髙橋教授が着目したのは光の位相、つまり山と谷がきれいにそろった「コヒーレント光」だ。
コヒーレンス(干渉性)を有するX線を試料に照射すると、はっきりとした「回折強度パターン」を得ることができる。回折とは、波が障害物の背後などに回り込んで伝わっていく現象のこと。X線は試料に当たると進行方向を変え、ある場所では強め合ったり、また逆に弱め合ったりし、試料の背後にあるスクリーンに強弱パターンを残す。それに反復的位相回復アルゴリズムを適用して試料像を再構成していく。こうした高い空間分解能を実現するレンズレスな「平面波照明型コヒーレントX線回折イメージング」の鍵を握るのがコヒーレントX線だ。
髙橋教授の研究チームは、大型放射光施設SPring-8(兵庫県)が供給する光源から位相の揃ったものだけを取り出しているが、コヒーレントX線はX線ビームのわずか0.1%程度しかない。高橋教授らは、高精度の楕円面鏡を配置することでコヒーレントX線を集光するなどの工夫を重ねていった。世界のX線顕微鏡コミュニティを驚かせることになるのは2010年のこと。直径100㎚以下(厚さも100㎚以下)のナノ粒子を2㎚の分解能で見ることに成功した。このシングルナノの記録はいまだに破られていないチャンピオンデータである。
未踏の記録をたたき出した「平面波照明型コヒーレントX線回折イメージング」にも課題がある。名前が示す通り、試料への平面波照射を仮定するため、測定サンプルはX線ビームサイズよりも小さい孤立物体(最大でも100㎚程度)に限定されるのだ。髙橋教授が試みるのは「走査型コヒーレントX線回折イメージング(以下X線タイコグラフィ)」である。本手法はX線ビームを試料に当てて、スクリーン上に描かれた回折強度パターンから試料の情報を再現するものだ。そこまでは平面波を用いたコヒーレントX線回折イメージングと同様だが、X線タイコグラフィでは、試料を走査し、重なり合いのある複数の領域からのデータを取得する。 “重ねて照射した部分の構造は同じである”という情報を用いるものだ。高分解能・高感度を実現するには、極めて高い精度でX線を照射させることが必要だが、髙橋教授らは前述の集光鏡を始め、装置の熱膨張・収縮を抑える恒温化システムやノイズを除去する空間フィルターなど独自の技術を投入し、X線による計測法、その高みを目指している。チャレンジングな取り組みに終わりはない。
次世代放射光施設を舞台に、
次なるナノの世界へ。
X線タイコグラフィの強みは、厚い試料を高い分解能で観察できる点にある。しかし、いまだX線イメージングの分野全般において厚みによる制限が存在する。髙橋教授が近年開発を進めてきたのが、大きさ、厚さともに0.1㎜を超える試料を、10㎚の分解能で見る三次元解析だ。「マルチスライスX線タイコグラフィ」は、厚さのある試料を薄い層の積み重ねとして表し、層の間を伝わるX線がどのように伝播していくかをより正確に考慮し、試料の像を再生するときの計算に取り入れるというものだ。この手法により、大手メーカーのプロセッサ(厚さ約30㎛の平板上に加工)の内部を31の層を持つ構造として検出させることに見事成功した。小さなデバイスの内部を非破壊で検査できる方法として、大きな注目を集めている。
髙橋教授が手掛ける新しい計測法は、他にも物質内部の化学状態を精密に可視化する「タイコグラフィ-XAFS法」など、それこそ枚挙にいとまがない。X線イメージング法の前線を切り拓く試行錯誤があり、新しい手法を生み出すアイデアがある。飽くなき挑戦の原動力はどこにあるのだろうか。「私はどちらかと言えば、新しい計測法の“社会への出口”、すなわち展開や実用化を考えるよりは、光学現象や計測法そのものに興味があるのです。これまで見えなかったものが見えるようになるというのは、すぐには役に立たないかもしれない。でも私にとっては『なんか、おもろい』取り組みなのです。おもろいのニュアンスを伝えるのは難しいのですが、ロマンがあるとも言えますね」と髙橋教授。
X線イメージング法の開発と進展は、コヒーレントX線を生み出す光源の性能に依存するという側面がある。現在、東北大学青葉山キャンパスに建設中の高輝度軟X線「次世代放射光施設」では、SPring-8よりも強度の大きいX線が得られるようになる。フォトン(光子)の量も増えることにより、短時間での測定が可能になるという。髙橋教授は、SPring-8での多くの経験を基に、ビームラインの設計デザインに携わっている。挿入光源から実験ハッチ、エンドステーションに至るまで、使い勝手を考えた細やかな配慮がなされている。
様々な場面で性急に成果を求められる時代になって久しい。「すぐには役に立たない」と語る髙橋教授のナノ構造の可視化はしかし、確実に科学を一歩前に前進させる。次世代放射光施設を舞台に、どんな精緻で鮮やかな微細像を私たちに見せてくれるのだろうか。心待ちにしたい。